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「親子のつながり」ワークショップ (イニシアティブ4 研究会)

日 時:2010年5月15日(土)13:00~18:30
場 所:京都大学稲盛記念会館3階 中会議室

*_ プログラム_*
1:00-1:10 趣旨 速水洋子 (京都大学)
1:10-2:00 植野弘子 (東洋大学)
「娘に何を期待するのか――漢民族社会における親子のつながり再考」
2:00-2:50 高田 明 (京都大学)
「転身の物語り:サン研究における「家族」の復権」
休憩 
3:10-4:00 宇田川妙子 (国立民族学博物館) 
「親子関係の複数性という視点:イタリアの事例から」
4:00-4:50 岩佐光広 (国立民族学博物館)
「親子関係の長期的展開――ケア論と親族/家族論の相互検討を通じて」
4:50-5:40 鈴木伸枝 (千葉大学)
「トランスナショナルな家族とジェンダー関係の素描~フィリピン移住者研究の
状況と今後の展開~(仮題)」
5:40-6:30 ディスカッション
*発表時間に、質疑応答も含めます。

趣旨:
少子高齢化がグローバルに進行し、人々の移動と生活の流動は激しくなり、新し
い関係性やライフステージが生まれ、情報や(生殖を含む)技術も錯綜しつつ発展
し、権力の様態もますます多元化していく中で、従来の家族や親族のつながりそ
のものが変容し自明ではなくなっている。ここでは生―権力に抗して人の繋がり
とは何かを、親子のつながりを中心に再考する。親族理論の根幹にあった関係性
を再考し、現代社会の諸相のもとで新たに生起しつつある事象に民族誌的なアプ
ローチを交差させ、「生のつながり」の核となる関係性として、生殖やケアを介
した世代間のつながりとしての「親子」のつながりの新しい見方、新しい局面に
焦点をあてる。親から子、そして子から親へと展開する人の一生の中での親子関
係の展開とそこに生じるケアの問題、そして、国際結婚をめぐる親子関係とを対
象とする場合などにおいて、どのような問いが想定されるだろうか。親族研究に
おける親子関係の理解をどのように新しく構成しなおせるかを問う。

発表要旨:
1 植野弘子氏
人類学における親族研究において、もっとも基本にある「親子」のつながりを再考しようすることは、これまでの親族研究が陥った、「人間」への視点の欠落を克服することを目指さなければならない。構造機能主義の親族研究では、まさに「構造」が問われていたのである。その父系社会の研究では、男性による出自の継承と権利義務関係が課題の中心となってきた。たしかに、ラドクリフ=ブラウンの研究においても、父系体系における母方親族の役割が考察されてはいた。さらに婚姻連帯理論においても父系以外の関係は論じられてきた。しかし、「構造」を問う研究においては、親子のつながりが、その社会においていかに認識されてきたのかについて、十分な考察を行うには至らなかった。

 本報告は、こうしたこれまでの親族研究の問題を、再度、男性同士がつなぐ以外の関係から見直そうとするものである。単に「男性ではなく女性に注目する」ということではなく、その女性を捉えてきた視点にも再検討を行なうことが必要である。父系社会の親族・家族をめぐる規範や行為などの研究では、特に女性が結婚してその生きる集団が変化する社会においては、女性については、婚姻後の婚入集団における諸関係に注目して分析が行われる傾向にあった。あたかも、結婚以前の女性の人生は存在しないかのごとき描き方である。しかし、出自の継承に寄与しない娘には意味がないわけではない。親と娘の間の双方の生涯にわたる関係性を読み解くことから、父系社会において、男女が親として子として生きる様を描き直す必要がある。 本報告での分析対象は、台湾の漢民族社会を中心とする。漢民族の親族体系は父系出自・夫方居住婚を特徴としており、女性は、死後、夫方において祖先祭祀の対象となる。しかし、女性を介在した出生家族と婚入家族と間の親族関係は、多面に展開する。母方オジには儀礼的な優位があり、また贈与を期待できる相手である。岳父と娘婿は、社会生活においても儀礼においても、期待される役割を相互に負っている。こうした関係からは、父親にとっての、媒介者としての娘の役割がみてとれる。また、親の供養には娘に特別の役割が与えられるなど、親と娘の間には、婚出後にも強い絆と果たすべき役割が存在してきたのである。女性たちの語るライフヒストリーから、娘からみた親との関係を抽出し、時代の変化を踏まえつつ、親子のつながりを再考する視点について論じる。

2 高田 明氏
本発表では,これまでのサン研究における「家族」の位置づけを整理し,そうした研究史と関連づけながらナミビア北中部のクン・サンのライフストーリーを分析する.これを通じて,サンにおけるエスニシティと家族の関係を問い直す.
初期の研究者は,現代の「狩猟採集民」であるサンはごくシンプルな形で社会秩序を維持しており,家族的な結合がその基礎になっていると主張した.この家族を中心とする仕組みは,サンの人間観や人間関係にも現れていると考えられた.たとえばSilberbauer(1981)は,自己を中心とした同心円状に血縁の深い順に親族が並び,その外側に別のサンのグループ,サン以外の人々が続くモデルを提示している.

だがほどなく,「見直し派」と呼ばれる研究者が影響力を増すようになった.見直し派は,サンは近隣諸民族を含むより大きな政治経済的なシステムの中で下層に追いやられた人々の集合に過ぎないと主張し,さらに「孤立した自律的なサンの社会」という幻想を創出してきたとして従来の研究者(「伝統派」と呼ばれる)を糾弾した.見直し派の論考では,親族間の関係は土地の権利や交易のネットワークを支える仕組みと位置づけられている.  私が調査を行ってきたナミビア北中部のクン・サンは,上の「カラハリ論争」の主な対象となったジュホアン・サンと多くの文化的要素を共有している.ただしジュホアンとは異なり,近隣の農牧民と数世紀に渡って多面的な関係を築いてきたことが広く認められている.クンのライフストーリーをたどると以下のような事例が見つかる.(1)クンの母親と農牧民の父親を持ち,農牧民として育てられた男性が,父親の死後は母親と一緒にクンのキャンプに移住し,クンとして生活するようになった.(2)クンの少女が農牧民に養取され,農牧民の子どもと一緒に育てられていたが,妊娠を機にクンのキャンプに戻った.(3)クンの男性が南アからの解放運動に参加して,国外で農牧民と共に活動していた.しかし,ナミビアの独立後はクンのキャンプに帰還してそこで暮らすようになった.  ここにあげた人々は,農牧民と生活していた時にはクンに他者としてのまなざしを向けていた.しかし,後にクンのキャンプに移動してきた際には,親族のつながりを頼った選択という論理を用いて,エスニシティの境界を越える移動に合理的な説明を与えている.これによって人々は,クンと農牧民が形作ってきた社会構造を壊すことなく,自らの転身に伴ってそのエスノスケープを変化させている.クンを他のアクターから隔てる文化的な境界が激動の歴史の中でもリアリティを失わなかった理由の1つは,こうした親密な関係性の再帰的な利用にあるのであろう.したがってクンの社会を理解するためには,伝統派と見直し派のいずれとも異なる枠組みで家族の働きを分析していく必要がある.  またこうした図式は,エスニシティと家族の間だけではなく,原理的には国家などの組織とそれを横断するエスニシティとの間にも成り立ちうる.したがってサン研究における家族の復権は,社会を構成するシステム間の関係のとらえ直しを促すものでもある.

3 宇田川妙子氏
親子関係は、本フォーラムの基底をなす概念「生のつながり」の中核の一つだが、そもそも親子関係とは何なのかという問いは、そう簡単ではない。特に近年では、医療技術の発達とともに親子・親族の関係がDNAレベルで語られるようになり、定義がさらに曖昧になる一方で、その認定や登録が行政レベルなどで必須化されてきており、ますます多くの関心や権力が、親子という場に集中しつつある。
もちろん親子関係の定義の難しさについては、人類学でも早くから議論がなされてきた。しかしそこでは、genitor/paterのように、生物学中心主義的な立論傾向が強くみられ、きわめて西洋的な親族観が隠されていた。たしかにSchneiderらによる批判はあったが、その後も根本的な変化は見られない。実際、1990年代以降の「親族研究の復興」も、その多くは西洋社会や国家施策や医療などのいわば西洋的な現象をフィールドとしているし、とくに活性化している新生殖技術にかんする議論も、その中心は西洋的な自然/文化という図式をめぐるものである。また、今日の親族研究は、事実上、核家族の範囲に集中していることにも注意したい。核家族とは、性(夫婦)と生殖(親子)がクロスするという意味で、まさに生物学的な親族関係の象徴的な場であり、しかも、歴史的に「近代家族」と呼ばれているように西洋的な親族観の所産でもあるからだ。つまり「新生殖技術時代」の親族論も、いまだ西洋的な枠組みを脱していないばかりか、むしろ、その脱構築をいたずらに標榜することによって一種のinvolution状態にあるとも言えるだろう。
さて本発表では、以上のような親族研究の現状とは一線を画し、現在大きな社会問題にもなっている親子問題にも一石を投ずる議論を試みていきたい。具体的な事例としてはイタリアでの調査資料を用いるが、その際、親子関係の複数性・複相性という視点を重視していく。
もちろんイタリアでも、ある子供の親とは、たいてい、その子を性=生殖行為によって生んだ男女とみなされている。こうした生物学的な親子の観念は、国家や教会とも結びつき、2004年に成立した補助生殖医療法(第三者からの配偶子提供禁止等々)にも典型的に示されている。しかしその一方で、養子も(最近では国際養子も)少なくないばかりか、いわゆる実の親子でないことに対する偏見や抵抗は小さく、養取をした親のうち実子がいる割合も半数近い。また、オジ・オバ等の近親(とくに独身のオバ、最近では祖父母)が親代わりに面倒をみることもよくあるし、子供の精神的な模範とされている洗礼親も、子供の生活に大きな助けとなる場合もある。つまり、子供たちの生活には、通常、いわゆる親以外にもさまざまな役割(財産、衣食住、教育、世話等々)をする大人たちが、様々な形で関わっているのである。
こうした視点からみると、(子供の親を明確に確定してそれだけを親子関係とみなす)現在主流の親子関係とは、多様な親子関係の一元化、さらに言えば「誕生」地点への一元化(矮小化)であると見直すこともできよう。実際、イタリア社会でもその傾向はみられる(ただし現在では逆の現象も出てきた)。またその背後には、人々の関心が、親子関係という「関係」から、親であること・子供であることという「地位」へとシフトしていく様子も見られ、それはアイデンティティ、心理、自己決定、個人、身体、生命などの言説の増加、すなわち人間観そのものの変化とも密接にかかわっていると考えられる。
本発表では、これらの問題を総合的に議論することはできない。しかし、親子関係の複数性・複相性(の可能性)に目を向けることによって、そもそも親子関係とは他の親族や非親族の関係とどう差異化され、どう位置付けられているのか、そしてそこには生物学的な指標はどのようにかかわっているのか(いないのか)等々、具体的にはイタリアの事例を考察するとともに、親子関係一般についても、主流観念を根本的に相対化し再考する手掛かりを探ってみたい。

4 岩佐光広氏
本発表では、ラオス低地農村部における親子関係を事例として取り上げながら、1)社会学や医療研究を中心にケア論と、人類学における親族/家族研究の批判的接合を試みるとともに、その視点から、2)親子関係の長期的展開という論点を提示する。
「ケア」という概念は、人々の個別性を前提とし、人間関係の多様なあり方とそこで営まれる実践の創発的な展開に注目するものである。グローバル/ローカルな変化が連動して進行し、親族や家族をめぐる諸関係が多様化/均質化する現代社会において、その様相を捉える視点としてケア概念への関心が高まり、盛んに論じられている。対して文化人類学においてケア概念は、必ずしも十分には検討されてこなかった。しかし、ケア論と人類学の親族/家族研究とを相互参照してみると、それぞれの利点と欠点が見えてくる。人々の個別具体的な実践を通じて多様な社会関係が生成・展開することへの注目を促すケア論は、そうした動きを静態的に捉えがちな構造機能主義的な親族/家族研究が抱える問題性をよりクリアにしてくれる。反面、現行のケア論は、個別具体的な関係と実践に焦点化するあまり、それぞれの関係に潜在/顕在している社会文化的な構造や規範を不可視化しがちである。結果として、個々の関係のあいだの連関が捉えられず、断片化した議論に陥っている。ケア論と親族/家族研究それぞれが抱える理論的負荷を踏まえつつ、両者が有する理論的可能性を批判的に接合することは、いずれにとっても重要な意義をもつと考えられる。
この立場から親子関係の理解を試みるとき、和辻哲郎が指摘する「親子関係の長期的展開」という論点が重要であると考えられる。ケア論と親族/家族研究の両方において、親子関係はしばしば子育てと老親の扶養から捉えられてきた。しかし親子関係はこれらの関わりにのみ還元できるものではない。出産/出生、子育て、親子間の協働、老親の扶養、看取り、葬送儀礼。親と子は、それぞれの加齢に伴い、親子という関係自体は維持しつつも、その関係のあり方を変えていく。それは、それぞれの社会構造や文化的傾向性によってある程度規定されつつも、親と子それぞれの個人的な条件(成長や衰えのペース、結婚や出産のタイミングなど)にも左右される。そしてそうした諸条件のなかで、親と子のあいだで無数に積み重ねられた実践を通じて、それぞれの関係のあり方は分けられ、移行され、つなげられる。子育てや老親の扶養といった親子間での様々な関わりはいずれも、親子関係の長期的展開のなかで生起する、関係性の通時的な動態過程の一局面として立ち現れるものなのであり、それぞれの局面ごとの個別具体的な実践の積み重ねが親子関係を長期的に展開する動因となるのである。

5 鈴木伸枝氏
人類学では、20世紀終わりからそれまでしばらくなりを潜めていた親族研究が、新たな形で重要性を増してきている。その理由の一つは、2010年現在、世界に2億人以上が移住者として生活している状況があり、他方、硬直した構造やシステムから文化の生成過程や人のエージェンシーに着目するようになった理論的展開がある。本報告は、人の国際移動が活発化する中で生まれているトランスナショナルな(超国民的と/または超国境の)家族関係と、そうした家族の形に密接に関係するジェンダーとセクシュアリティの諸相を概観することを目的とする。人の国際移動研究は近年非常に活発であるが、文化人類学の新しい親族研究が提示する視座からの考察は発展途上といえる。
本報告(研究ノート)では、親族研究の新しい方向性を概観したうえで、人の国際移動とトランスナショナルに展開する親族関係、ならびに親族形成の土台となるジェンダーとセクシュアリティ問題の理解の深化を図るため、世界で最も組織化されていると考えられる移住労働立国フィリピンからの移住者に関する考察ならびに関連の文献をレビューする。それと同時に、報告者がこれまで行ってきた在日フィリピン人の越境(クロス・ボーダー)結婚と「ジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレン」などの例を引きながら、今後期待される親族関係研究を提示したい。