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「Arun Agrawal著、Environmentality: Technologies Of Government And The Making Of Subjects (Duke UP、2005年)輪読」[環境・制度・STS・人類学に関する勉強会](イニシアティブ4 研究会)

活動の記録>>

日 時:2009年9月26日(土)  15:00~
場 所:総合研究2号館AA415

扱う文献はArun Agrawal著、Environmentality: Technologies Of Government And The Making Of Subjects (Duke UP、2005年)です。

【活動の記録】

今回はArun Agrawal著Environmentality: Technologies of Government and the Making of Subjects(Duke University Press、2005年)をテキストに読書会を行った。参加者は清水、石坂、宮本、木村(以上東南研)、生方(岡山大)である。
 

Arun Agrawalはインド出身の政治学者で、ミシガン大学the School of Natural Resources and Environmentの准教授である。北インドのKumaonを対象に、これまで森林の資源管理をめぐるローカルナレッジや国家政策の変容などを論じてきた。研究のスタイルがOstrom流の政治学・ゲーム論からScott流の住民の実践研究へと転じた変わり種である。
 

本書の中心的な関心は環境の統治化(governmentalization of the environment)の過程、つまり環境統治(environmental government)のテクノロジーの出現と、それとの関わりで人間主体(human subjectivities)がいかに変化したかにある。20世紀初頭、住民は植民地政府の環境統制政策に反発していたが、1930年代以降、人々は環境政策に積極的に関与するようになる。その変化はいかにして生まれたのか。筆者は知識とテクノロジーをもとにした制度の変容、それに伴う実践の変容が、新たな主体形成をもたらしたと考える。
 

第1部のうち、第2章ではまず、19世紀後半のサーベイと統計等による、インドの森林についての科学的な理解(→人間から切り離された、人間の活動によって危機にさらされる、保護するべき実体としての「自然」)の形成、それにもとづく森林統治体制の形成が論じられる。第3章では20世紀初頭の政府による管理体制の詳細な歴史(森林局と土地税局の争い、森林の意味付けの変化)と住民による激しい抵抗、そして中央集権からの転換が記述される。
第2部では、その後の変容について論じる。第4章は、中央集権が維持するのにコストがかかりすぎるとして、村レベルの森林委員会(forest councils)の設置などの法制度・規制改革によって、森林を住民が自己管理するようになったことが、第5章では、コミュニティレベルでどのように管理がなされているかについての詳細な記述をもとに、「ローカル・コミュニティ内部の制度的・社会的関係性の再編」が、第6章では「環境的主体(environmental subject)の形成」が論じられる。現地でのアンケートをもとに、主体的に環境の監視と保護に取り組んでいる住民たちの存在を統計的に示す(ただし、著者は住民たちが画一的に「環境的主体」となったのではなく、彼らの実践には多様性があり、意識の上でもそうであることを強調している)。第7章の結論では、政治生態学、コモンズ論、環境フェミニズムの先行研究を論じながら、著者の主張が明確にされる。
 

本書は裏表紙でJames Scottが「国家と社会、構造とエージェンシー、パブリックとプライベートという二項対立を乗り越える新しい分析の領域を切り開いた」と評しているように、人類学・経済学・政治学・歴史学(筆者はとくに政治生態学、コモンズ論、環境フェミニズムに言及している)などが重なり合う領域を、詳細かつ統合的に記述しているという点で、大きな貢献であるといえよう。特に、「環境的主体」という論争的な概念の導入は、本書をきわめて影響力をもちうるものにしている。この概念はScott流の「弱者の抵抗」論に対する明確な反論であり、概念自体の妥当性およびこうした主体が形成される背景について、他の事例を通じてより詳細な検討・議論がなされるべきであろう。
 

以上のように議論の流れを確認したうえで、様々な議論が展開された。木村と生方は、本書でも示される現代型のソフトな統治について、「環境保護は善である」ことをひとまず受け入れたとき、本書で展開される主体形成を肯定的に捉える(べき)か、否定的に捉える(べき)かの判断はきわめて難しい、という意見を述べた。これに対し、石坂はより本質的な批判を行った。本書で対象となっているKumaon地域の特殊性を指摘し、著者がきわめて議論の枠組みに適合的な地域を選んでいること、そして著者は1920年代と現代を対比し、その間のことをほとんど議論しないままにしているが、実はその間の歴史や変化がきわめて重要で、それ(60年代の中印国境紛争、その後のこの地域の開発と森林伐採、そこからの揺り戻しとしてのチプコ運動、その結果としてのこの地域の産業の未発達と発展の遅れなど)をきちんと踏まえるなら著者が示しているような図式は成立しえないことを示した。つまり、この地域に関しては著者のように予め「環境」という問題をしなければ、全く違う形で実態像が描きうる、ということである。また宮本は、自身の研究に引きつけて、「環境保護」があらゆる行為の免罪符になっている現状に対し、実態をきちんと認識して反論を行っていく必要があると指摘した。以上のように、今回は参加者が少ないながらも充実した議論を行うことができた。

   (木村周平)



[tag: イニシアティブ4 環境・制度・STS・人類学に関する勉強会]