「アフリカ在来知の生成と実践―研究の構想と展望」(イニシアティブ4 研究会)

活動の記録>>

日 時:2007年11月13日(火) 9:30~12:00
場 所:京都大学吉田キャンパス本部構内
大学院アジア・アフリカ地域研究研究科・会議室(工学部4号館4階東側447号室)

発表者:
重田眞義 「アフリカ在来知の生成と実践―研究の構想と展望」
松林公蔵 「アジア高齢者の主観的QOLの普遍性と多様性」

 イニシアティブ4では、持続的生存基盤パラダイム形成に向けて、知的潜在力研究の立場から問題発見と課題設定をまず行うことを、現在の目標にしています。次回の研究会では、お二人に、これまでの研究経過とこれからの展望についてお話をいただき、みんなで議論をしたいと考えています。
オープンの研究会です。

重田眞義 「アフリカ在来知の生成と実践―研究の構想と展望」について

【趣旨】
「エンセーテ(Ensete)」はアフリカ、エチオピアの民族集団「アリ」にとって重要なバショウ科の食用植物である。このエンセーテには栽培集団と野生集団があり、栽培集団だけでも50種以上の品種が存在するとされる。しかし、これらは栄養繁殖によって栽培され継承されてきたものであり、原理的には同じ遺伝子を持つ同種のはずである。
現地での調査から、栽培集団のなかに意図的ではないが種子繁殖したものがあり、これらが種子繁殖する野生集団との間で交配することで種の多様性が起こっていることが明らかになった。儀礼的な理由により野生集団には人が介入しないという状況も、結果として種の多様性を維持する結果となっていた。
以上から、無意識的なレベルで種の多様性や自然保護を可能とするような在来の知が存在する、ということができる。「在来知(Local knowledge)」は、人びとが自然・社会環境と日々関わるなかで形成される実践的、経験的な知であり、本プロジェクトである持続的生存基盤を考えるにあたって重要なキーワードとなるであろう。ただしこれは文脈を無視して実体として取り出せるようなものではない。実用的側面の意義性と普遍的な知としての知のあり方、双方でのこれまでの研究を反省的にとらえつつ、その生成と実践・変化の過程を多様な文脈に即して探っていくことが必要である。








【活動の記録】
質疑応答においては、「在来」についての質問(在来知を内発的なものとして捉えるのか、あるいは研究者や外部との関与のなかで生成・存在するものも在来知とするのかという問題)があった。また、種の多様性がなぜ必要であったのかについての事実確認の質問があった。
議論はさらにGCOEプログラム全体の方向性にまで広がり、イニシアティブ1「環境・技術・制度」では環境が所与のものとして捉えられているが、本発表を含めたイニシアティブ4の視点からはそうではないことが指摘され、イニシアティブ1の枠組みや議論に対してイニシアティブ4から実践や価値、思想といった視点を提言していくということについて議論が交わされた。
 

松林公蔵 「アジア高齢者の主観的QOLの普遍性と多様性」について

 

【趣旨】
日本の養護老人ホーム、ミャンマーの仏教系、カトリック系の老人ホーム(以上、貧しく身寄りの無い高齢者のための施設)において鬱の状態を比較してみたところ、入居者の鬱の頻度は、日本が53%であるのにたいし、ミャンマーのカトリック系ホームで21%、仏教系ホームでは6%であったという。
ここからは、物理的な施設の充実と人々の主観的な幸福とが結びついていない、ということが指摘できるだろう。では、日本に比べてミャンマーのホームで欝が少ないのはなぜか。対比してみると、ミャンマーのカトリック系ホームでは祈りや賛美歌、仏教系ホームでは高僧の説話や瞑想(メディテーション)といった宗教的な営みが行われていることが注目される。それゆえ、このスピリチュアルな要因が鬱の発生率と大きく関係していると考えることができる。<サクセスフル・エイジング>においては、これまで理解されていたようなフィジカルな健康、メンタルな健康とともに、いわゆるスピリチュアルな視点を取り入れることがきわめて重要になっているのである。
これまで医療は、純粋科学的な“Evidence Based Medicine”として理解されてきた。今日ではそのようなあり方への反省から、個々人の訴えに依拠した医療のあり方“Narrative Based Medicine”が注目されるようになっている。この両視点に加えてさらに、生命や疾病と医療、そして死の意味を問いなおす“Value Based Medicine”としての医療のありかたが重要になるであろう。

【活動の記録】
質疑応答においては、Quality of Life、いかに幸福な死に方ができるのかというQuality of Deathについてさまざまな議論が交わされた。個々の主観に依拠する幸福感というものを客観的に捉えることには限界がある。何を幸福ととらえるか、いかなる死に方を望むのかについては、個人とともに地域的な違いも存在する。積極的に未来に希望を持つという幸福もあり、また、人びとの関係性のなかで安寧に死にたいという選択もあり得る。この問題を突き進めていくならば、人間が社会関係や文化的な価値のなかで状況づけられている存在であることから検討していかなければならない。しかしまた、多様であり地域的に異なるという結論に収束するのではなく、それを超えて、「かけがえのない生」を活かすような普遍的な知というものをもう一度問うていくことが必要なのではないか、という意見が発せられた。
 


(文責 加瀬澤雅人・木村周平)

 

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