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[東南アジア学会関西例会](関連する学会・研究会)

日 時:2010年11月6日(土)14:00~17:30
会 場:京都大学稲盛記念会館3階 小会議室

アクセス:http://www.cseas.kyoto-u.ac.jp/about/access_ja.html

建物位置:http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/access/campus/map6r_b.html

プログラム:

14:00~15:00 報告1 (発表と質疑)

佐々木綾子(京都大学大学院アジア・アフリカ 地域研究研究科 特別研究員)

「タイ北部山地、後発酵茶「ミアン」生産村にお ける生業戦略」

15:10~16:10 報告2 (発表と質疑)

福島万紀(島根県中山 間地域研究センター/京都大学地域研究統合情報センター)

「焼 畑耕作はどのような森を創り出しているのか―タイ北部の山岳地域に暮らすカレン人の焼畑耕作と植物の多様性―」

16:30~17:30  コメントと討論

コメンテーター 倉島孝行(森林総合研究所)


【発表要旨 Abstracts】
1 佐々木綾子

タイ北部山地にみら れる発酵食用茶「ミアン」の生産を目的とした伝統的な林内チャ 樹園、いわゆる「ミアン林」は、原植生に近い多層森林構造を維持できること から、森林と調和的で持続的なアグロフォレストリーと評価されてきた。しかし近年における社会構造変化に伴うミアン林利用の動向と、生業 としての経済的評 価は十分行われてこなかった。長期的な社会経済分析は、ミアン林の持続性評価のみならず、タイ北部森林景観の将来的予測にも貢献が期待される。本発表では ミアン生産村における生業の変容を明らかにし、ミアン生産の維持または生業の転換に寄与する要因を考察することを目的とする。またそれら の変化がミアン林 構造に影響を与える可能性を検討する。
まず、1970年代の調査資料の残るミアン生産村において、過去40年にわたる生業の変容とその要因を明らかにするとともに、生業変容に伴う慣習法による 土地利用慣行ならびに個人の資源用益権に関する概念の変遷を分析した。その結果、1980年 代前半には道路などのインフラ整備に伴いミアン生産と労働人口流入の拡大が進行したが、その後は市場の縮小に伴い生産規模、人口ともに減 少し、村の経済状況は急速に衰退したことが明らかとなった。しかし2001年 から始まったタイの緑茶ブームを契機としてミアンから飲料茶生産への転換がはかられ、村民主導の直接出荷経路の構築がこの転換をさらに加速した。このよう な生業の変容に伴い、慣習法において個々のチャ樹に限定されていた個人の用益権の範囲は、作物導入の場としての土地自体にまで拡大され、 他作物への転換も 視野に入れた慣習法変容の可能性が認められた。このようなミアン生産村内部の変化は、今後のタイ北部山地の森林景観の維持にも影響を及ぼす可能性を指摘し た。
また次に、2001年以降のミアン生産村における生業の現状及びその変化を把 握し、ミアン生産の維持または生業の転換に寄与する要因を考察した。調査地はタイ北部同山地に位置するP村とM村である。P村では2001年からの緑茶市場 の急速な拡大を契機に、ミアンから緑茶用チャ葉生産に転換する世帯が急増していた。一方のM村 ではミアン生産が未だ主生業として維持されていた。
2村の比較調査から各村における生業戦略決定には、 ミアン生産物の流通形態および以下の要因が影響していると考 察した。(1)M村の生産 者は、P村の生産者に 比べ少ない工程で、尚且つ卸価格の高い販売形態を確立してお り、これがミアン生産が維持されている要因と考えられた。(2)一方のP村では、隣接村におい て飲料茶企業が1960年 代初期に大規模茶園を造成したことで、飲料茶生産技術の取得及び卸先の確保が可能となったことが、生産物を飲料茶へ転換する契機になった と考えられた。(3)それに加え2004年 に新たな仲買人による従来よりも高値取引の飲料茶販売形態が確立されたことで、更なる飲料茶への転換を促したと推測された。飲料茶生産は ミアン生産と比較し低労働力で行え、また転換にインフラ整備を必要としないことから、同じチャ樹を用いる代替生産物として有効視されてい た。
しかし2010年に行ったP村 における継続調査では、飲料茶を生産する世帯は増加したものの、ミアンを生産する世帯数については2002年 時点とあまり変化が見られなかった。発表では自給用作物を生産しないミアン生産村において、生産者がいかに生業戦略を行ってきたのかを、 林地の多角的利用と小農体系という二つの要因に焦点を当て試論を述べたい。(連絡先: sasaki22[at]asafas.kyoto-u.ac.jp)

2 福島万 紀 

東南アジアで古くから行われてきた焼畑耕作は、森林の回復力を利用して作物を育てる、化学肥料や農薬に依存しない農業の営みである。焼 畑耕作を行う集落の周辺では、林齢の異なる様々な休閑林が恒常的に存在し、火入れによる攪乱に強い萌芽更新性の種、明るい場所に侵入する パイオニア種、遷 移に伴って出現する耐陰性の種が、空間的多様性を創出する。このような「焼畑休閑林」は、山地民が日常的に利用する多様な植物の供給源になっている。しか しながら、1960年代以降、焼畑耕作の規制が強化され、代替作物の導入が進んだ 地域の一部では、放棄された「焼畑停止林」が拡大した。本発表では、タイ北部の山岳地域において焼畑耕作を継続する集落周辺の「焼畑休閑 林」、焼畑停止後20年以上停止した集落周辺の二次林に存在する「焼畑停止林」そ れぞれに存在する植物の多様性について、これまで明らかにしてきた事例を紹介し、焼畑耕作の多面的な価値について議論する。

 

世話人・連 絡先
片岡樹・kataoka[at]asafas.kyoto-u.ac.jp
蓮田隆志 hsd[at]cseas.kyoto-u.ac.jp
速水洋子 yhayami[at]cseas.kyoto-u.ac.jp
渡辺一生 isseiw[at]cseas.kyoto-u.ac.jp