要旨:
ベトナムの少数民族チャムの一集団であるチャム・バニは、イスラームの要素と精霊等を並存して信仰していることから、仏領期以降の記述において「バニ派」あるいは「古いムスリム」等と称され、「異端」や「変形」といった否定的な形容とともにイスラームの一派として紹介されることが多い。しかし、チャム・バニのアラーに対する信仰と実践のあり方は「宗教職能者」と「在家」という社会を構成する二つの層によって大きく異なっており、人々はウンマの成員としての宗教的自意識も共有していないので、その理解には注意が必要である。
チャム・バニの宗教は、彼らと同じベトナム中部南端の平野に暮らすチャム・バラモンと象徴二元論的な世界観を共有しており、この地域のチャム知識人たちはそれこそがチャムの「正統」な宗教だと主張している。他方で、1960年代には一部のチャム・バニ出身者の間でイスラーム覚醒が起こっており、スンニ派への「改宗」者も誕生した。
諸民族の文化的多元性が容認されはじめ、国家レベルで「文化的アイデンティティの構築」が奨励されるようになったドイモイ以後のベトナムでは、多様性や様々な文化要素の融合といった特徴は、寛容性という積極的な意味を付与される傾向にある。宗教をめぐる言説に着目してみると、チャム・バニの社会に見られるような、原理主義とは逆の方向に形成されるシンクレティックな宗教実践のあり方はベトナムの民族の独自性として積極的に評価されている。
本報告では、宗教をめぐる評価を様々なレベルで検討し、ベトナム中部南端のチャム・バニの社会における宗教文化の再編過程を考察する。
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