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「フィールドコラム:北ケニア牧畜民・アリアールが経験した2007年総選挙: 国家的行事とローカルな文化実践の出会いとアイデンティティ」内藤直樹(ナイロビ・フィールド・ステーション)


内藤直樹(アジア・アフリカ地域研究研究科 研究員)

総選挙中のフィールドワーク

 

2007年12月におこなわれたケニアの総選挙は、現職大統領に対する「不正疑惑」を契機としてケニア国内に大きな混乱をまねいた。この混乱にともなって、ケニア西部地域やコーストおよび首都ナイロビの一部などで発生した暴動により、1000人以上の死者や数十万人規模の避難民を出した。このとき私は、ナイロビから北に400㎞ほど離れたマルサビット県でフィールドワークをおこなっていた。 私はこれまで、個人や集団が他者との特定の共同経験(1.他者との相互扶助的関係の構築、2.他者との共属意識の形成、3.共属意識の第3者による承認)を積み重ねることで、アイデンティティを柔軟に変更する過程に注目し、東アフリカ牧畜社会の民族間関係やエスニシティの特性に関する人類学的な調査・研究をおこなってきた。2008年1月初旬には、調査地で政治の混乱や各地の激しい暴動の様子をラジオで聞きながら、やや不安な日々を過ごしていた。この時期にマルサビット県で暴力的な紛争が発生することはなかったが、砂糖、穀物、ガソリンなど生活や調査に必要なさまざまな商品が入手できなくなった。激しい選挙運動は、ケニアの辺境地域で牧畜を営む人びとの生活にも大きな影響をあたえた。本稿では、牧畜民アリアールの事例を通じて、2007年末の総選挙が北ケニア牧畜社会の人びとの民族間関係やエスニシティにどのようなインパクトを与えたのかを紹介する。

 

調査地の位置と民族

「予測が難しい環境」における「状況依存的なアイデンティティ」

アリアールは、ラクダ牧畜民レンディーレと、ウシ牧畜民サンブルの混成集団である。

レンディーレは、強く乾燥した低地に暮らし、サンブルはあまり強く乾燥しない高地に暮らしている。アリアールは、レンディーレとサンブルが良好な社会・経済的関係を維持してきた長期にわたる歴史的な過程で出現した。アリアールの多くは、サンブル語とレンディーレ語の両方を理解するが、日常的にはサンブル語で会話している。「アリアール」とは、レンディーレが彼らを他者化する際にもちいる他称である。「アリアール」に相当するサンブル語は「マサゲラ」である。しかし前回に私が現地調査をしていた2004年の時点では、「マサゲラ」という単語の意味を知っているのは、一部の物知りの老人たちだけであった。

サンブル、アリアール、レンディーレには、それぞれ複数の父系クランが存在する。人びとは、おもに自分とおなじクランの人びとと相互扶助をおこなっている。

写真1:アリアールの環状集落(マルサビット県、2007年)

またサンブル‐アリアール‐レンディーレ間にはクランや民族の範囲をこえた相互扶助のネットワークがひろがっている。そのなかでアリアールの人びとは、場面や状況に応じて、相手と交渉しながら自らのアイデンティティを表明してきた。

【事例1】他集団の土地や資源の利用
2002年の調査時に、アリアールのAクランの青年が家畜群を遠隔地に連れて行った際、その土地に居住するアリアールのBクランの放牧地と水場を利用しようとした。Bクランの長老たちは当初、青年に対して「おまえたちレンディーレ(「家畜を連れてやってくるよそもの」といった意味で使われている)は、私たちの土地から出て行け」と言明した。しかしながら、交渉を継続するうちに、青年とBクランの長老の間に出自集団をこえる紐帯」があることがわかると、青年は放牧地と水場の一時的な利用が認められた。
このようなアリアールの「状況依存的なアイデンティティ」は、予測が困難な環境で牧畜を継続するうえで重要な生業戦略のひとつとして評価できると考えられる。アリアールを含む牧畜民が分布するケニア北部の乾燥地域の特徴は、単に乾燥しているというよりもむしろ、いつ・どこに雨が降るのかを確実には予想できないところにある。そのため、人びとは家畜とともに臨機応変な移動をくり返し、その過程でしばしば他者の土地や資源を利用する必要に迫られる。つまりアイデンティティの状況依存性は、他者の土地や資源の利用にともなう軋轢や紛争の可能性をへらし、土地や資源への柔軟なアクセスを可能にする。

選挙とローカルな文化実践の組み合わせとアイデンティティ

2007年の総選挙をめぐる選挙運動が活発化するなかで、アリアール出身の国会議員を支持する若者たちの一部が「自分たちはレンディーレと明確に異なる民族集団『マサゲラ』である」と主張しはじめた。
「マサゲラ」が出現した背景を説明する。まずアリアールとレンディーレが、ひとつの選挙区で生活していることが指摘できる。ケニアの総選挙では、大統領選と同時に国会議員選もおこなわれる。基本的に、国会議員は210に区切られた小選挙区ごとに選出される。ライサミス選挙区の住民のほとんどはレンディーレとアリアールである。ライサミス選挙区では与党・国民統一党(PNU)がアリアール出身の候補者を、そして野党・オレンジ民主運動(ODM)がレンディーレ出身の候補者を擁立し、熾烈な選挙運動を展開した。12月27日の投票日の直前には、演説歌をがなりたてるスピーカーを搭載した4WDの車で、各候補者が昼夜を問わず集落をまわり、選挙運動を展開していた。その際、人びとの歓心を得るべく、お金や食料、水などを提供することも忘れていなかった。

写真2:選挙運動員による水タンクへの給水
(マルサビット県、2007年)

ライサミス選挙区を含む北ケニアの複数の選挙区では、2005年にも国会議員の補欠選挙がおこなわれた。北ケニアの民族紛争の調停に向かった現職国会議員たちが任期中に飛行機事故で死亡したためである。すなわち、これらの選挙区では選挙運動が約2年間(2005‐2007年)にわたって継続したことになる。死亡したライサミス選挙区の国会議員はレンディーレ出身だった。多くの人びとが、補欠選挙の勝者は死亡した国会議員の妻だと予想していた。ところが、このときアリアール出身の候補者が国会議員の座を勝ち取ったのである。この結果は、レンディーレにおおきな衝撃をあたえた。そしてそのときには、すでに今回の国会議員選挙まで2年を切っていたのである。それゆえ候補者たちと、彼らを支持するアリアールやレンディーレの運動員たちは、補欠選挙の直後から今回の総選挙にむけた選挙運動を開始していた。
そして翌2006年にはアリアール、2007年にはレンディーレで、約14年ごとに執行される集団割礼儀礼がおこなわれた。集団割礼は基本的にクラン単位でおこなわれるため、この時期はアイデンティティの状況依存性が低下する。なぜなら、普段はさまざまな場所に居住している人びとも、割礼儀礼に参加するため、自分のクランの儀礼集落に集まるからである。国会議員選の候補者たちは、選挙区のアリアールやレンディーレの支持を得るために、各クランの割礼の援助(移住用の車の手配や金銭・物品など)をおこなった。その結果、割礼というローカルな文化的実践が、選挙という政治的資源をめぐる戦いに強く結びつけられたのである。その過程で1)「マサゲラ」はレンディーレとは異なる文化をもつ集団であり、2)「マサゲラ」はレンディーレに比して不当な政治的扱いを受けているとする言説が流布した。

【事例2】教育を受けたアリアールの選挙演説
教育を受けたアリアールの選挙運動員たちは次のような演説をおこなった。「これまでのレンディーレの国会議員は、私たちの陳情を聞いてくれなかった。なぜなら私たち『マサゲラ』はサンブル語を話すが、レンディーレ語はうまく話せない。だから私たちの言葉で直接対話することができる国会議員が必要だ」「私たち『マサゲラ』の候補者を国会議員にして、これまでレンディーレが独占していた深井戸を掘ってもらおう!」。
こうした演説が繰り返されることで、レンディーレと対立的な利害関係をもつ集団「マサゲラ」の境界が明確に立ち現れてきた。そして「状況依存的なアイデンティティ」によるアリアールとレンディーレの相互扶助関係が一時的に機能しにくくなった。

【事例3】相互扶助的関係解消のこころみ
あるレンディーレの長老は、対立するアリアールの候補者を支持する者に貸し与えていたラクダを強制的に回収すると発言した。しかしながらこの長老が帰属するクランの他の長老たちが会議を開き、選挙の一時的なもりあがりのために、行き過ぎた行為をすることのないように説得したことで、事なきを得た。
また、これまで「ひとつのクラン」として割礼儀礼をおこなってきたアリアールの複数の儀礼集落が分裂するという事態が生じた。もともとアリアールのクランは、レンディーレやサンブルからの移民を含んでいる。これまで人びとはクランが内包する歴史的差異を強調しないように努めてきた。ところが補欠選挙以降には、教育をうけた人びとや財・権力をもつ人びとが歴史的差異を強調し、それを政治的立場の差異に結びつけるようになった。

【事例4】クランが内包する差異の隠蔽と暴露
2008年2月に、私はアリアールのあるクランの長老に、クランを構成する各家族の移住史についてインタビューした。そのクランは2006年の集団割礼時に、儀礼集落をふたつに分裂していた。分裂した集落の人びとは、それぞれ別の国会議員を支持していた。長老は分裂した儀礼集落に住む移民について言及する際に躊躇した。なぜなら移民の「もともとの出自」を暴露することは、彼らの他者性を強調し、排除するためにしばしばおこなわれるからだ。ところが、その場にいた教育をうけた若者は、「言ってしまえ、隠すことは何もない」「私たちアリアールはアリアールの候補者に投票するべきだ。しかし、X家はもともとレンディーレである。だからレンディーレの候補者を支持するのだ」と発言した。  すなわち長老たちは集落の分裂後もクランが内包する歴史的差異を強調することにためらいを感じていた。その一方で、教育を受けた若者たちは、歴史的差異と政治的立場の差異というふたつの異なる「差異」を結合し、クラン内部のアイデンティティの「差異」を本質化したのである。

写真3:選挙演説を聞きに集まる人びと(サンブル県、2007年)

2007年のケニア総選挙にともなう「マサゲラ」という新たな民族アイデンティティの出現は、政治的資源をめぐる争いとローカルな文化的実践とが組み合わさるなかで、サンブルとレンディーレの境界におけるゆるやかな文化共同体・アリアールが、明確な輪郭を持った文化・政治共同体「マサゲラ」として再編される過程の一部だと考えられる。しかしながら、それはレンディーレ‐アリアール間および、各クラン内の相互扶助関係が、政治的な利害関係によって弱体化したことも意味する。アリアールはこれまでアイデンティティの状況依存性を維持してきたが、これは予測が困難な環境における生計維持戦略のひとつとして重要であると考えられる。長い選挙が終わったいま、一部の人びとは選挙によって固定化したアイデンティティを再び状況依存的なものに「修復」しようと努めているようにも見えた。 しかしながら今後も数年おきに展開される選挙運動は、アリアールやレンディーレの「状況依存的なアイデンティティ」にさらなるインパクトを与えるだろう。牧畜社会の人びとが選挙を通じて国家に組み込まれていく過程で、アイデンティティの状況依存性を維持し、予測が難しい環境における牧畜生活を継続するためには、どうしたらよいのか?日本でケニアの新聞のネット版を見ながら、そんなことを考えている。(2008/10)

 


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