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第148回アフリカ地域研究会(2008/04/17)

京都大学アフリカ地域研究資料センター
第148回アフリカ地域研究会

日 時:2008年4月17日(木)15:00 ~ 17:30

場 所:京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
(京都市左京区吉田下阿達町46)
共同棟(新館)3階共同講義室(307号室)

演 題1:東アフリカ牧畜地域における貧困問題の複雑さ:ステレオタイプに異を唱る

講 師:ピーター・D・リトル教授
(エモリー大学、教授/京都大学、客員教授)

要 旨:
東アフリカの乾燥地域および半乾燥地域(ASAL)には主として牧畜民が生活 しているが、この地域は最近、旱魃と大洪水にみまわれており、そのことによってこの地域に山積している貧困や低開発、そして政治的な周辺化といった問題が、あらたに注目されるようになった。のどの渇きを訴える栄養失調の子供たち、月面のような荒涼とした風景、そして骨と皮ばかりになった家畜をつれた苦悩する牧畜民といったイメージがマスメディアに氾濫し、政府機関や国際組織、NGOなどは、いつものように食糧援助などの支援を呼びかけ始めている。そしてアフリカの貧困などの窮状を理解し、それを軽減しようとする動きは、政治家や国際的な有名人、研究者、そして活動家や現場にかかわる人々など、多方面から大きな注目を集め続けている。

しかしながら、このような深甚なる関心にもかかわらず、アフリカの農村部(とくに牧畜社会)において、いったい何が貧困問題をひきおこしているのか、それはどのように査定すべきなのか、そしてそれを解決するために何をなすべきなのかについては、ほとんど意見の一致がみられないのである。

ケニア北部に分布する牧畜社会は、アフリカ大陸のなかでもっとも脆弱 (vulnerable)な集団のひとつである。この発表では、この地域において実施された学際的な研究によって得られた資料にもとづいて貧困という問題をとりあげ、収入/支出のバランス、地理的な辺鄙さ、あるいは市場への統合といった平凡で陳腐な考え方にもとづいて問題を解決しようとすることに異議をとなえる。そして、そうした月並みな議論は多様な生計活動(livelihood)や貧富の差を認識しそこない、「牧畜民」を均質化(homogenize)していることを論ずる。開発援助において、牧畜民はおしなべて貧困問題をかかえているといったラベル(ステレオタイプ)をでっちあげることは、牧畜社会に対する外部からの関心をかき立てることはあっても、牧畜民自身の生計を強化することにはつながらないのである。

演 題2:アフリカにおけるアイデンティティの構築と社会史:時間と空間を超えた権力と富のエコシステムとアンソロスケープ

講 師:ローレンス・フリント博士 (セネガルに拠点を置くNGO・ENDA-TMの傘下にあるエネルギー・環境・ 開発計画の調査コーディネーター /コペンハーゲン大学アフリカ研究センター、研究員/バーミンガム大学西アフリカ研究センター、研究員)

要 旨:
世界のいかなる地域もそうであったように、かつてのアフリカにおいても、 権力と富は、氾濫原や河川のデルタのような生産性の高い核心的な生態環境のなかで発生し、そして管理されていた。そして、もっとも生産性の高い生態系は、しばしば紛争の場所ともなった。このような生産性の高い核心的な土地は、人々の定住地や、あるいは人々の英知が結集する場所となりうるポテンシャルがあるため、周囲に対しても影響力をもった。こうして、拡大と支配の過程を生み出す有利な生態的条件は、人々の形而上学的な意識にも影響を及ぼした。人々はそれらを、自然のランドスケープや、さまざまな物質やサービスを提供できる生産性の高い核心地に根ざしたアイデンティティやメンバーシップといった心理的な徽章として身につけるようになった。

権力と富は、生態環境の動態によって媒介され、生産性の高い核心的な地域へと集中するようになった。生態的バランスのいかなる変化も、社会および政治・経済的現状を、ただちに壊滅させるかもしれないインパクトをもつ。人の移動や人口増加、あるいはグローバルな新しい力の移入――政治、経済、社会的な求心性と結束を我がものにしようとするヨーロッパ系やアラブ系の商人、あるいは奴隷商人や宣教者などの到来――にともなって、これらの資源を管理しようとする競争相手が常に増加することになった。

ヨーロッパ植民地主義の到来によって、権力や富、あるいは精神的な充足感の中心地は、従来の中心地から徐々に離れていった。そして、こうした中心地は、それまで多くのアフリカ人にとって不可思議で実体がなく、架空上の存在であるようなよくわからない場所へと移動した。近代的な権力と富の象徴的な中心地への忠誠心を(アフリカ人に)求めようとしても無駄に終わった。植民地的な権力の産物に人々が出会うとき、たとえばヨーロッパ人が植民地期につくった大都市に移住したようなとき、彼らは心をこめて歓迎されるどころではなく、周辺化されたり無視されたりした。そして歴史文化的なメンバーシップやアイデンティティのシンボルへと回帰していくことになった。

本発表では、社会、政治、経済的過程がおこる中心地の移動や、アイデンティティの構築の性質に焦点をあて、またそこからこぼれおちるものにも目を配る。また気候変動のような変化をもたらす媒介物についても議論する。

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